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お別れ |

今年の私には黄金週間は無かった。しかし違う意味で黄金週間だった。 この10年GWは毎年絶対富山に帰っているのだが、初めて帰れなかった。 でも4月に帰ったのでいいのだが。
本当は毎年GWに実家の風呂を炊くための釜の煙突掃除をしている。 (五右衛門風呂ではない) 死んだ祖父が割った薪がなくなるまでは、薪で風呂を沸かすつもりなのだが、 祖父が死んで5年過ぎてもまだ実家の周りに積んである薪は無くならなかった。 戦前東京で銭湯(湯屋=ゆうや と呼ぶ)を営んでいた祖父は(祖父の叔父の代から)、死んでからも私たちをいいお湯で温めてくれている。 家庭用の小さな釜の小さな煙突を、生前は祖父がいつも掃除していた。
この冬は大変寒くて、また大変忙しくて毎日疲れたので、お湯のありがたみがほんとうに身にしみた。 湯屋の先祖に感謝せずにはいられなかった。
今年は煙突を父が掃除したらしいが、「おじいちゃんの薪がもう残りわずかになってきたよ…」 とメールもよこした。 4月に帰ったおりに気がついていたのだが。 改めて言われると寂しくなった。
とうとうウチも、もうすぐボイラーだけでしか風呂を沸かせなくなる… 薪で炊いた風呂は冷めにくい。
このGWは毎日平均睡眠3時間だった。 録音の進行がいっきに加速して、予定に間に合わせるため必死に色んなところに電話しまくり、色んな人の助けを借りて、ようやく大きく動けた。
忙しさに乗って新曲も作ることができた。 (明後日10日の代々木Bogaloo、13日の阿佐ヶ谷バルト でやる予定。。。是非来てください!)
毎晩お湯に感謝する日が続いた。 しかし湯屋にはずいぶん行ってなかった。
ここ近日急激に気温が上がったので、駅までのバスやバイク(HONDA SUPER CUB 50cc 赤)での移動を自転車に変えてみた。 久しぶりに自転車のタイヤに空気をいっぱいにして走った。 よく聞くことだけど、車やバイクから自転車に乗り換えると、普段目に留まらなかったものが見える。
普通は素敵なものが目に留まるはずだが、今回はそうではないものが留まった。
近所の大きくて立派な湯屋が14日で閉まるという張り紙を見つけてしまった。
ここに越してきて2年が経ったが、近所のお気に入りスポットの上位であった場所が無くなるというのは本当にショックだ。 そして何より、同族…?とでもいうのか、もう母が生まれたころにはうちは富山の薬屋になっていて湯屋は家業ではなかったが、一族がまた減るのを目の当たりにすることになった。
そういう私もしょっちゅう通えたわけではないし、時代には逆らえないものの1つでしょうがないが、やはりすごく寂しい。
14日までもう全然行けそうなタイミングがないので、昨日、0時近くに滑り込みで入った。 そこはもちろん屋根の大きな宮作りで、今では本当に数少ない番台のある湯屋だ。
私がここに越してきて間もない頃、今でも板橋で湯屋を続けている私の祖父の甥であるおじさんが、この湯屋も親戚ではないが先代の富山出身の人が50年前からやっていて、とても親しいのだと言っていた。
私は自分のアパートに友人が泊まりに来ると、一緒にその湯屋に行こうと誘う。自分のアパートの小さな風呂より断然気持ちがいいし、私くらいの年齢だと湯屋に行ったことのない人の方が多いから、古くて立派なところがあったらなるべく連れて行ってあげたいのだ。
しかし、5分は歩くと言うとけっこう断られる。秋冬はもってのほか。
湯屋の良さは温泉とは違って行ってみないと絶対わからないが、行っても好きになれない人もけっこういる。 でも少なくとも私の友達には良さがわかるはずだ。
しかし、もう1週間でここともお別れ。 その間にここに誰かを連れてきてあげられそうもない。 予定が詰まっているが、出来たら1人でも行きたい。 ここには10円玉で動く、椅子と一体型の、カプセルのようなものに頭を入れて髪を乾かす大きなドライヤーが2台も健在なのに。 これらはどこに行ってしまうんだろう。
駅近のこの場所にはこの後マンションが建つらしい。よくある話。 それはそれは儲かるにちがいない場所だ、寂しいが湯屋のうちの人にはきっとその方がいい…
2年も通っているのに、初めて番台のおばさんに話しかけた。 おじさんの名前を言うとビックリして、でもしばらく会ってないからと嬉しそうに笑って、亡くなられたご主人の話や先代の話もしてくださった。 本当に東京の湯屋は富山出身の人、とりわけ水林の親戚が多いことを改めて知った。
水林という姓は、大昔は平家の落ち延びてきた林という家が富山の山奥に逃げ込んで、その山が湧き水の豊富なため いつの間にか水林に変えたらしい…と祖母から昔 畑で聞いたんだけど、本当かどうかは知らない。
私のジャズの恩師、阿佐ヶ谷MANHATTANのマスター でアコーディオン奏者のJ.J.望月 氏は、富山出身の湯屋に水林が多いのは、水(湯)が豊富ってことだから水林なんじゃないの…? という冗談を言っていたのが思い出された。 そっちの由来の方が好きだな…
昔ながらの湯屋はこれからもどんどん姿を消していく運命にある。 銭湯を守ろうの会みたいなのはあるし、祖父のもう1人の甥であるおじさんが東京浴場組合の会長で頑張っているが、現実は厳しい。
文化財に指定されているよほど大きく立派なところが数件残るだけだろう。 あとはスーパー銭湯という新しい形で生きながらえられたらいい方だ。
まだ高層ビルなど高い建物がなかった時代は、道に迷っても湯屋の煙突ですぐにどこか分かったらしいが、今はその煙突を探すのは難しい。 煙突掃除屋もほとんどいないだろう。 氷の冷蔵庫と氷屋がいなくなったみたいに。
富山の薬屋も同じで、今でも多くの薬は富山でも作っているが、配置業はほぼ無くなったに等しい。 それと共に桐の箱や紙風船や紐で編んだ犬の人形も見かけなくなったろう。
時代には逆らうことができないけど、手作りの温かみをこの先も忘れないでいたい。
大学受験で板橋の湯屋のおじさんちに1週間いさせてもらった時、 朝起きて、洗面所は風呂場を使っていいよ、と言われて入った誰もいない大きな風呂場は、まだほんのり温かくて すっかり床は乾いていて、天窓から朝日が差し込んで辺りはぼんやり白く、まるで幻みたいにタイル絵が美しかったのは忘れられない。
湯屋は冬も温かいから猫がたくさん寄ってくる。夜は可愛い家ネコたちと一緒に布団に入った。数日いたら、家の者か?と猫たちが認めて寄り付いてくれたのが嬉しかった。
母は大学時代、おじさんちの湯屋に下宿していて、本を読みながらよく番台を代わったと言っていた。
祖父が11歳で浅草の祖父の叔父の湯屋へ奉公に上がった時、あまりの厳しさに便所でよく泣いたと言っていた話、近所から炊きつけ用の薪を集めながら本を読んだり、夜に字を書く練習をしたという話、めったにない休みの日にエノケンやロッパやでんすけを観に行った話…25歳で自分の湯屋を持った話…
この100年で日本人の人種も変わってしまったと思うくらい、祖父の時代の人とは文化も言葉も違ってきていて、 新しく生まれるものがあるだけ消えていくものがあるんだけど、 それらの話をたくさん聞けて本当に良かったな…。
ゆっくりは出来なかったけど、とてもノスタルジックな黄金週間でした。。。
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